地下室の十数体死体の風聞
どんな伝承か
一九二一年(大正十)二月十二日、二百余名の警官隊が朝もやの綾部を走りぬけ、皇道大本本部を包囲した。世間では、大本教には武器弾薬が山ほど隠され、武道できたえた青年が備えているという噂がまことしやかに流れていた。警官たちは建物に土足で踏み込み、筆先・日記・原稿などを押収したが、最後まで血眼で探しまわったのは武器と軍資金であった。巷間にいう竹槍十万本や爆裂弾を求めて捜索が行なわれ、地下室に十数体の死体が隠されているという奇怪な風聞もあったが、地下室は瞑想修行のための幽斎室以外に存在せず、すべては空振りに終わった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。