道閑祭りと日一期
どんな伝承か
検地に来た役人の棹が長いと十村の道閑が反対して棹を折り、咎めを受けて刑場に縛られた。赦免状を持った加賀藩の使いが宇の気で団子を食べて遅れ、小田中辺りから笠で招いたのを早くやれの合図と取り違え、刑は執行されてしまった。辞世は「消えてゆくあとにかたあり霜柱」と伝わる。四月十一日には在所中が黒米を持ち出し、道閑屋敷があったという桃瀬川の大橋の真中で白米にして餅を搗き、道行く人に配って徳を偲ぶ。これが道閑祭りである。また五月半ば、久江から水白へ抜ける川に日一期が群れて数日で息絶えるが、これは道閑の亡魂だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史・自治体史(民俗))
『鹿島町史 通史・民俗編』所収の伝説。石川県鹿島町(能登・現中能登町、石動山麓と邑知地溝帯)に伝わる自然・信仰・歴史伝説を採録する。