初瀬観音と謙信(梅に鷹)
どんな伝承か
小田中の観音堂は能登三十三番札所のひとつで、初瀬の観音様と呼ばれ、十一面観音を中心に三体の像がまつられている。四百年ほど前、上杉謙信が越中から荒山峠を越えて能登へ攻め入り、鳥越の物見坂まで来たとき、初瀬の観音様が行く手に立ちはだかった。堂塔伽藍を焼き払うような悪党は能登へ入れぬ、越後へ帰れと、謙信の頭が割れんばかりの大声で叱りつけたと伝わる。堂の正面には梅に鷹の彫物が掲げられ、堂を建てた能登部の大工常光が、自分の腕前を村人に問うつもりで彫ったものといわれる。法要は毎年七月九日と、四万六千日にあたる翌十日に営まれる。
原典より
そして謙信の頭の鉢が割れる様な大声で、「この悪党め、でかい堂塔伽藍を焼きまくって、お前みたいな奴は、能登へ入れられん、さっさと越後へ帰れ!」、と怒鳴りつけたといわれとる。—— 鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史)
『鹿島町史 通史・民俗編――伝説』は、鹿島町の町史通史・民俗編のうち、昔話と伝説の節と、続く「俗信と俚諺」の冒頭を収めたものである。石動山麓と邑知地溝帯の集落で聞いた話を、芋掘り権兵衛や屁売りじいさなどの昔話、亀塚や椀貸穴などの自然伝説、初瀬の観音様や井田の不動滝の信仰伝説、久江の道閑や村境を決めた話の歴史伝説に分け、在所名を添えて載せる。伝承の状況や語り始めと結びを述べた解説を前に置く。