溥儀を天恩郷に匿う計画
どんな伝承か
満洲事変は翌昭和七年三月に満洲国独立として帰結するが、この背後でも王仁三郎は動いていた。彼は九月二十五日に突如上京して政治家・軍人と密かに会談し、二十七日に亀岡へ帰り、翌二十八日には大陸浪人の川島浪速とその娘川島芳子と面談して、神示によれば宣統帝はひとまず日本に来朝するのがよいと告げた。もともと王仁三郎は、満洲民衆の総意で溥儀が皇帝の位につく形をとり策謀的な介入は排除すべきだと表明し、そのため溥儀を密かに来日させ、いったん亀岡の天恩郷に潜伏させる計画を立てていた。ところが関東軍の土肥原がこれを察知して溥儀を天津から連れ出し、強引に建国へ突き進んだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元・武田崇元・大本研究・現代(著述))
武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告―発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』。大本の聖師・出口王仁三郎の生涯と予言を、霊界のプログラム(型)として読み解く。