近江比良宮の禰宜の子に託宣
どんな伝承か
延長八年の清涼殿落雷のあと、菅原道真の怨霊をめぐる噂はいっそう広がった。まず天慶五年(九四二)、右京七条の住人である多治比文子が道真の霊のお告げを受け、続いてその五年後の天暦元年(九四七)三月十二日には、近江国比良宮の禰宜の子どもにも同じ託宣が降ったという。年表はこの託宣に続けて北野天神が造られたと記す。道真をめぐる怨霊信仰は、貞観五年に神泉苑で営まれた御霊会に見られる前代の御霊信仰を引き継いだものとされている。
原典より
さらに、延長八年の落雷事件から十二年後の天慶五年(九四二)には、右京七条に住む多治比文子に道真の霊の託宣があり、その五年後の天暦元年(九四七)には、近江国比良宮の禰宜の子供に同じ託宣が降った。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。