和気清麻呂の宇佐神宮託宣
どんな伝承か
神霊は人が使役できないため、神と交わる道として神憑りと霊感が生まれたと説かれる。巫女が無意識のまま神託を口走るのが神憑りであるのに対し、和気清麻呂が宇佐神宮で託宣を受けたのは霊感の側に属する例だという。霊感はのちに道具を使う形へ変わって太占のような占いとなり、さらに筮竹による周易へ進んで、数理と霊感をあわせた卜占になったとされる。
原典より
神功皇后が筑紫の宮で、琴を彈て三韓征伐の神勅を受けたのや、巫女が無意識狀態になつて神託を口走るのは神憑の方であつて、和氣清麿が宇佐神宮で託宣を受けたのは、霊感に属すべきものであらう。—— 修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年))
『仏教より観たる幽霊の正体』は、修羅挑天が著し、昭和六年に中央出版社から発行された、仏教の立場からの幽霊論である。霊魂観念の変遷、四悪趣と幽霊、幽霊の定義と分類を説き、責任感の強い幽霊・嫉妬の幽霊・復讐する幽霊などを、新聞記事や著者が自ら調べた明治から昭和初めの実例、英国の霊媒の家や天津での見聞で示す。緒説と十段からなり、後半では倶舎論・唯識論・起信論・法華経・真言密教・浄土門の教えに照らして幽霊を論じている。