越後蒲原の少女と異僧
どんな伝承か
寛政年間のこと、越後国蒲原郡太田村の百姓某の十二、三歳ばかりの少女が、燕の町の祭礼見物に出て連れとはぐれた。群衆の中を探していると顔の赤い僧が一人来て、伴って見物した。少女が心に食べ物を思うと、異僧はすぐに茶店へ入れて好むものを食べさせ、町へ出ても櫛笄でも食物でも欲しいものは皆与えた。銭を払わないのに売る者もとがめない。家に帰ったその日から、少女が求めるものは何でも思うままとなり、座ったまま遠くの物を欲すれば飛んで来て前に置かれた。家人が怪しんで責めると家が鳴動し、諸器物がひとりでに飛び、鍋釜が梁の上に上がった。怪をそしる者には鎌や棒が飛んで打った。一月あまりで止んだ。『北越奇談』所載。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪の民俗学――日本の見えない空間(宮田登・宮田登・民俗学・昭和(現代民俗学))
民俗学者・宮田登が、妖怪を『日本の見えない空間』の問題として論じた現代民俗学の名著。Ⅰ妖怪のとらえ方では、柳田国男『妖怪談義』の妖怪論(妖怪は出る場所が決まり、零落した神)と、幽霊(都市の人間関係から相手を追って出る)との区別、昭和五十四年に流行した口裂け女(受験社会で母に叱られる子供の心意の投影、『喰わず女房』の鬼女の再来)と産女、島根県松江の雲州皿屋敷のお菊、明治の井上円了の妖怪学と真怪・仮怪の分類を扱う。