出口なおの座敷牢体験
どんな伝承か
放火の嫌疑が晴れた後、警察の指示で長女の夫を監督者とし、組内の者が座敷牢を建てて、出口なおは一八九三年(明治二十六)に監禁された。養子になっていた三男が毎朝お粥の弁当を差し入れた。なおにとって座敷牢は「火のなか」「水のなか」であり、「一日暮れるのが一年ほど」であった。首をくくって自殺を図ったが「死んでもこの中にいるのと同じ」と神に止められた。なおは鎌で格子戸の蝶番を切り続け、ちょうど四十日目に牢を出た。無筆のなおが座敷牢の柱に釘で記した文字が、膨大な『おふでさき』の始まりだとされる。出牢後は家財も家も売り払われ「生まれ赤児」になったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・現代(近代史研究))
民俗学者・川村邦光が、近代日本が在来の習俗や憑きもの信仰をいかに〈迷信〉として再編し、狐憑きを脳病・神経病・憑依妄想へ病理化したかを、具体的事件・事例に即して論じた近代史。