金谷宿の舞台と吉原おいらん道中
どんな伝承か
慶応三年九月十二日、金谷宿の酒屋文左衛門方へ伊勢皇太神宮のお祓が降ったのを始まりとして騒ぎが起こり、さっそく町内九か所に舞台が設けられた。舞台には榊やしだれ桜を飾り、鳥居・二見ヶ浦・猿田彦の羽うちわなどをかたどり、町内惣代を通じて献納された御神酒を積み込んで、十四、五日が最高潮となった。十三日には助郷会所から銭三十貫文が提供され、町ごとに蒔銭が行われた。十七日に舞台をしまってからは、奉公人の男女が羽織袴や裃を着け、女は男と姿を替え、吉原おいらんの道中や鹿島踊り、大奴などが出て、宿中裏々まで昼夜の差別なく裸参りが始まり、二十四、五日におさまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。