信濃の東限に降った原之茶屋のお祓
どんな伝承か
信濃で札が降ったとされる地域の東の端は諏訪郡だが、そのなかでもさらに東寄りとみられるのが、富士見の原之茶屋にあった名取与兵衛の家である。慶応三年十一月二十二日、この家に諏訪大社上社のお祓が降ったという。祝いは三日間続き、酒は八樽、餅米は六斗、粳米も一俵半といった量が費やされて振る舞われた。この一軒を境に、騒ぎはそれより東へは伝わらなかったことになる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。