船形屋敷の怪異と病
どんな伝承か
嵯峨の船形屋敷では、昭和三年の暮れごろから奇妙なことが続いた。土地の持ち主となった京都の染物業者の花村萬壽治が新しく家を建てて住むと、たちまち重い脳病にかかり、驚いてそこを去って、寺町の心霊治療家の薄出然道の施術でようやく治った。翌四年の十月ごろには、愛宕山のケーブルカー工事を請け負っていた荒木某がこの家を借りたところ、本人は無事だったものの老母がひどい精神病になり、恐ろしくなって引っ越していった。こうしたことから、屋敷には何か化生の障りがあるのだろうと近所でうわさされるようになったという。
原典より
こんなことから船形屋敷には、何か化生の障りでも有るならんと、界隈で評判さるに至つた。—— 三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉)
『三田光一の念写と透視能力に関する研究記録』は、福来友吉の著作から霊能者三田光一を扱う節を抜き出したものである。大正六年の通信による透視実験と、同年の名古屋の県会議事堂、大正七年の尼ヶ崎実科高等女学校、昭和四年末から翌年元日の日本地下水協会、昭和五年の京都嵯峨と牧野家での念写実験を、立会人や乾板の封じ方まで詳しく報告する。地下水協会と嵯峨の実験には著者の感想が付き、前節の透視実験の末尾、霊の幻化の章の序論、ホープ氏の節の冒頭も含む。