焦げた秋葉札が告げた失火の理由
どんな伝承か
名古屋の御札降りを書き留めた「感興漫筆」には、秋葉札にまつわる奇異がいくつも載る。禅寺町では慶応三年九月二十一日の夜に秋葉札が降ったが、その札はわずかに焦げていた。不吉に思って占わせたところ、これはその夜に火を出した家へ降った札で、仏壇に納めたきり祭をしなかったから出火したのだ、そのとき札は焦げて飛び去ったのだ、と告げられる。人々は大いに恐れ、すぐさま祭を営んだという。駿河町でも、降った札を棚へ上げたまま祭を怠ったところ、石が降って屋根瓦を砕き、怪我をした者が出たと記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。