梅橋村・秋葉常夜燈の富士浅間札
どんな伝承か
遠江国佐野郡梅橋村の伊藤清次郎が書いた「天災地変記録」によれば、慶応三年八月中旬から所々で御札降りがあり、降った家では二夜三日の祭を行って、村中はもちろん他村から来た者にも御神酒を呑み放題に振る舞い、投げ餅をし、踊り舞ってにぎやかなことこのうえもなかった。梅橋村でも八月二十七日の夜、秋葉常夜燈へ富士浅間神社の御札が降り、翌二十八日から村中が寄って御宮をこしらえ、酒屋・豆腐屋・肴屋へ走り、餅をつき、若者が太鼓を叩いて三日の間騒いだ。その経費十両あまりは村中で割り出して負担した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。