二度の失敗を越えて通した玉川上水
どんな伝承か
江戸の町が広がって水が足りなくなり、新たな上水を引く工事が玉川兄弟に命じられた。兄弟は幕府から七万両を受けて着工し、まず立川の南の青柳から掘り始めたが、東府中の堀は土地が低すぎて水が流れず失敗する。関係者は落胆し、段丘の坂を悲しい坂と呼んだ。次は福生から掘り直したものの、熊川では砂地に水が吸い込まれてしまう。困った兄弟は土木に長けた安松金右衛門の助けを借りてようやく通した。江戸に近づくころには費用が尽き、兄弟は財産を売り払い、人夫を励まして完成させたという。測量は夜、線香や提灯の火を並べて高低を測った。
原典より
場所 羽村から甲州街道を通って四谷大木戸まで(現新宿御苑北側道路)時代 江戸時代 承応二年(一六五三)江戸の城下町が拡大され、人口の増加に伴って水不足を来した。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。