隠岐を望む王塚と双子塚
どんな伝承か
東伯郡東伯町の鈴カ野の北端に大きな円墳が二つ並び、王塚あるいは大塚と呼ばれる。奈良朝のころ、舎人親王の子池田王は恵美押勝の乱に加わって土佐へ流されたが、なお身が危ういと察し、隠岐の兄船親王のもとへ逃れようとして船が漂流し、この地に着いた。方見の村主は王を自邸に迎えて厚く仕え、やがて娘阿夜の婿とする。阿夜は男子を産み池田麿と名づけた。麿は成長して村主と大神宮上神主の職を継ぎ、子孫は池田を名乗ったが、藩主池田氏の入国後は憚って池本と改めた。王は隠岐が一目で見える所に葬れと遺言し、鈴カ野の端に葬られた。塚の名は村名にもなったが、のちに逢束の古名へ戻された。妃阿夜も並べて葬られ、合わせて双子塚と呼ぶ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。