皇道大本への復帰
どんな伝承か
一九三三年(昭和八)の旧元日にあたる二月三日、大本教は節分祭を期して『皇道大本』の教名に復帰し、十三ヵ条にのぼる『皇道大本信条』を発表した。その第一条は、天之御中主大神を宇宙万有を創造した全一の大祖神とする教義の基本をかかげ、第二条は天照皇大神を至尊至貴の大神とし、第四条では『皇上陛下』を『世界を知ろし召さるる至尊至貴の現人神』と述べて、国家神道のイデオロギーに忠実な信条を連ねた。皇道大本への復帰は、大本教の全活動が国家主義とファシズムへ急傾斜したことを表明するものであった。
原典より
出口王仁三郎が率いる大本教は、昭和初年の大恐慌から十五年戦争へと向かう天皇制ファシズムの台頭期に、大本教の歴史をつうじて前後に比類のない、多面的で活発な社会的政治的実践を展開した。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。