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峠で見込まれた丹波の青年

所在地京都府亀岡市
年代明治21年(1888)
登場本田親徳、上田喜三郎
出典鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論

どんな伝承か

出口王仁三郎は旧名を上田喜三郎といい、明治四年に亀岡の穴太で生まれた。大本側の記録によれば、明治二十一年、死の前年にあたる本田親徳が「地の高天原」を探して諸国を巡る途中で丹波に立ち寄り、とある峠で若い喜三郎を見かけ、その素質を見込んで、神道家として道のため国のために尽くすよう諭したという。本田は死に際して、十年後に丹波から一人の青年が訪ねてくれば道は開けると言い残した。その明治三十二年の前年、喜三郎は夢遊のような状態で高熊山へ登り、岩窟にこもって一週間座り続ける体験をしたと伝えられる。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学・平成(著述))

宗教学者・津城寛文『鎮魂行法論―近代神道世界の霊魂論と身体論』。近代以降の神道界に展開した『鎮魂行法』を、霊魂論・身体論・シャーマニズム論の観点から体系的に分析する。

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予言本田親徳因縁鎮魂帰神

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