天平寺の遺品
どんな伝承か
能登では気多大社をもしのぐ勢力を誇った石動山天平寺は、明治の神仏混淆禁止令と廃仏の混乱のなかで取り壊され、廃絶した。用材の欅などは焼き捨てるより炭に焼いたほうがよいというので、加賀の内尾や板尾からも炭焼きに出かけたという。そのとき内尾の者は欄間と具束机をひそかに内尾村へ持ち帰り、内尾の御堂再建に用いたと伝えられ、今も竜の白木彫欄間一対と具束机が残されている。また板尾の宮には不動明王の剣型三点がある。天平寺の宝物や遺品の多くは持ち去られ、あるいは焼かれたという。
原典より
能登に在っては気多大社をもしのぐ勢力を誇って北陸に君臨していた石動山王平寺は、明治の変革に当り、神仏混淆禁止令と廃仏思想の混乱期に際し、神社として伊須流支比古神社の神号を冠するも、天平寺の名で知られる如く社僧、衆徒が多く…—— 河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史・自治体史(民俗))
『河内村史 下巻(民俗編)』第三節所収の民話・伝説。石川県河内村(白山麓)に伝わる白山信仰の伝説を採録する。