舟見町での宿泊謝絶と頓智
どんな伝承か
著者は午前八時に須沢の旅舎を出発し、暴風雨の被害の跡を弔いながら西へ向かい、親不知の難所を越えて十二里を歩き、午後五時に越中下新川郡舟見の宿駅に着いた。古びた菅笠に踵の破れかけた草鞋という案山子のような風体だったため、旅宿の老婆に、お気の毒だがお座敷が皆ふさがっている、と宿泊を断られた。ほかに宿屋らしい旅舎は一軒もない。そこで著者は頓智を働かせ、自分は先発隊で、主人が明日明後日に越後から五、六人を連れて山奥の官林払下の調査に来る、主人は贅沢家だと、出鱈目の法螺を吹いた。老婆はたちまち態度を変え、一番の大座敷に案内したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・大正2年(1913年)前後)
明治四十三年(1910年)から大正二年(1913年)にかけて、著者高橋宮二が体験した精神修養と霊能力(通力・千里眼)に関する記録。藤田靈齋の深呼吸修養法から始まり、日本アルプスでの深山幽谷修行を通じて、精神修養による霊能力の発現を理論化・実践化する過程を記述。御船千鶴子・長尾郁子といった著名な千里眼能力者の事例と、著者の配偶者による透視・念写能力の発現記録を中心に展開。