小石川で交わした念写の一枚
どんな伝承か
大正元年の秋、著者の知人が見舞いの席で福来友吉に会い、著者が千里眼の能力者を養育していると話したことから縁が生まれた。福来は夫人を伴って訪ねてきたが、そのとき著者は朝鮮に旅行中で会えずじまいだった。大正二年二月十三日の夜七時、小石川区大塚町七十番地の私邸で二人はようやく顔を合わせる。互いに手の内を明かさぬ探り合いが続いたが、著者が懐から念写写真を一枚出して卓上に置くと、博士の表情が緩んだ。能力者が現れなければ職を辞して諸国を巡る覚悟だった、研究の余録は遺稿としてでも世に出すつもりだったと語った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。