心字池へ突き落とされた焼き打ちの夜
どんな伝承か
明治三十八年、日露講和の条件が甘すぎるとして、各所で交番が焼き打ちされた。著者はそのとき日比谷の帝国ホテルの横手にいた。内務大臣の官邸へ小倉袴の壮士が十五、六人塀を越えて躍り込み、石油缶を提げた者が門番小屋に火を放つ。日比谷の交差点では電車の車体が燃え上がり、群衆は怒濤のように押し寄せた。著者は火の明かりを頼りに公園の池のあたりまで逃げたが、木の幹にしがみついても押し倒されるほどで、とうとう心字池へ突き落とされ、底にあった硝子の破片で向こう脛に三針縫う傷を負った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・昭和中期(1940年代~1950年代推定))
幼少期の地獄極楽のぞきからくり(私の心霊術)/心霊術と降霊の実演/作家長田幹彦の心霊体験/交霊と幽霊との接触/明治〜昭和の心霊文化