河鹿と蛙を殺された落語家の幽霊
どんな伝承か
講談師の悟道軒圓玉と落語家の三遊亭圓左は、浅草三筋町三十一番地に隣り合って住み、ともに通人を任じる皮肉屋どうしで話が合い、貧乏も似たり寄ったりで、その交わりは水のようであったという。やがて圓左は中風にかかって世を去り、家族は他へ移転して、跡へは物持ちの妾が越してきた。圓左が好んで飼っていた河鹿や蛙は、代がかわっても座敷へ跳び上がる癖のままだったが、妾は気味悪がって女中や男に命じ、根絶やしに殺させた。ある夜、圓玉が寝ていると圓左が枕元に坐り込み、隣にいながら大事にしていた河鹿も蛙も助けてくれぬとは、と苦情を並べて消えた。幽霊は二夜三夜と現れて同じ苦情を繰り返し、妾は薄気味悪がって転居したという。
原典より
其の幽霊は二夜も三夜も出て、同じ苦情を繰返したが、お妾が薄気味悪くなつて移轉したさうである。—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。