利仁將軍を呪殺す
どんな伝承か
文徳天皇の御代、新羅国へ牒を発したが用いられなかったため討伐軍を起こし、鎮守府将軍藤原利仁を大将として渡海の準備をさせた。これを聞いた新羅王は、兵力では敵し難いと考え、支那から真言密法に通じた不空全という僧を招き、仏前で敵将調伏の法を修させた。調伏の修法が七日に満ちた折、壇上に多くの血がにじんだ。折しも利仁将軍は出征に臨んで発病し、山崎で病臥していたが、調伏満願の日に俄然病床から跳ね起き、虚空に向かって太刀を抜き斬りつける様子を続けた末、昏倒して死んだ。利仁の死で新羅討伐は沙汰やみとなったという。
原典より
文徳天皇の御代に、新羅國へ牒合を發したところ、用ひなかったので、討伐軍を起こし、鎮守府將軍藤原利仁を大將ざして、各道より兵を徴して渡海の準備を爲さしめた。—— 幽冥界研究資料 第二巻 靈怪談淵(岡田蒼溟・幽冥界研究・怪談・大正〜昭和(戦前)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽冥界研究資料 第二巻 靈怪談淵(岡田蒼溟・幽冥界研究・怪談・大正〜昭和(戦前))