奈留島椿浦の十八間の大赤鱏
どんな伝承か
明治十二年、十四歳だった小嶺磯吉は、肥前の中五島にある奈留島の椿浦で、従兄が建てた鯖の大敷網の様子を船で見に行った。すると、後にも先にも見たことのない大きな赤鱏が背を出して、幅十八間ある網の出口に張った横網にかかった。その長さはちょうど十八間もあったという。背中には鯨のように筒形の貝がびっしり付いており、小船から飛び移って十ほど剥がして持ち帰り、のちに食べるとうまかった。貝は両手の指を合わせて囲むほどの大きさだったと小嶺は語った。
原典より
船で此様子を見に往つて居ると、後にも先にも見たことの無い大きな赤鱏が、背中を出して此横網に引罹つた。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。