飫肥へ行こうと鳴った鐘
どんな伝承か
かつて伊東藩と佐土原藩が不慮の戦火を交え、伊東藩が敗れて和睦の贈物を余儀なくされた。飫肥の城には朝夕の時を知らせる大きな撞鐘があり、その音は暁には起きよと響き、夕には休めと響いた。佐土原藩の使節がこの大鐘の譲渡を迫り、敗軍の伊東藩は城下の生命であるこの鐘を涙をのんで譲った。数日後、鐘は佐土原へ運ばれて時を報じたが、勝利を誇るはずの音がどうしたことか哀調を帯びて響く。誰かがあの鐘は「飫肥へ行こう」と鳴るといい出し、泣くような音だと評判になった。佐土原の町にも情を知る武士がいて、その計らいで鐘は再び飫肥の城下に帰り、時を報じるようになったという。
原典より
<高木―「大慈寺の鐘」>かつて伊東藩と佐土原藩とが不慮の戦火を交えたことがあった。—— 日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。