蛭子姫
どんな伝承か
伊弉諾・伊弉冊の二神が大八洲の国を経営して多くの御子を産んだが、その中の蛭子はたいそう美しく、寵愛のうちに三歳を迎えた。しかし三歳になっても足が立たないので、両親の嘆きは一通りではなかった。伊弉諾尊は幾日も苦しんだ後に覚悟を決め、天磐樟船に蛭子を乗せて高天原からどこへともなく流した。船は荒波にもまれながら転覆を免れ、幾十日か後に二の宮へ漂着した。この二の宮が今の奈気木の杜で、両親が嘆いたことからこの杜の名が出たのだろうといわれる。蛭子の乗った天磐樟船からは間もなく枝や葉が出て、天を摩するほどの大樟となり、その実が多くの若樟を殖やして奈気木一帯に大樟林をなした。その大樟は享保十三年に枯死し、地頭の樺山主計久初が倒れた老樟の傍らに樟を植え継いだという。
原典より
伊弉諾伊弉冊の二神が大八洲の国上を経営せられて多くの御子達を御産みになったその御子様のうちに蛭子といふそれはそれは本当に美しい方で御両親の御寵愛の中に何の障りもなく三歳を御迎へになった然るに蛭子は三歳になっても足が立たぬ…—— 日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。