西新井の名を生んだ加持の井戸
どんな伝承か
嵯峨天皇のころ、東国に悪い病が広がって人々が苦しんでいた。天長三年、全国を歩いていた弘法大師がこの地に立ち寄り、難儀を聞いて十一面観音の像を刻み、堂を建てて護摩を焚いた。その際、自らと村人の災いをすべて像に負わせ、井戸の中へ沈めたという。土に埋めたとする説もある。すると大師の厄も村の疫病も去った。この井戸が堂の西にあったので西新井の地名が起こったと伝える。また一説には、埋めた像を掘り出した跡から清水が湧き、それがいまの加持水井だともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第5巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第5巻』所収の「文化叙事伝説」全104話(千葉・山梨・神奈川・埼玉・東京=関東甲信)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。