嵯峨船形屋敷の霊地透視
どんな伝承か
昭和五年一月二十一日、三田光一は上嵯峨の船形屋敷を訪れ、薄出然道や花村萬壽治、濱豊彦らの立ち会いで四十分ほど透視を行った。結果は、この地は弘法大師が嵯峨天皇の病気平癒を祈るため、高野山の丹生都比売の神霊を移して百日の祈願をした霊地だというものだった。三田はさらに大同から承和に至る大師の事績を書き綴り、福来友吉が年表と照らすと細かく合っていたという。祈願の地に置かれたという二つの大石も、旧地主の田中作治郎によればかつて実在した。透視の日は偶然にも初大師にあたり、統一中には祈る大師の姿が見えたという。
原典より
此地は弘法大師空海が時の帝嵯峨天皇の御悩平癒を祈るため、高野山に祀り奉れる丹生都比売の大神の御霊を此に移し奉りて、百ヶ日の祈願を修めたる霊地なり。—— 念寫-心靈寫眞(福来友吉氏) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。