悪魚の腹を焼いた武穀王と八十蘇水
どんな伝承か
景行天皇の御代、椎ノ門に悪魚が現れて近隣の漁夫を脅かした。日本武尊の子である武穀王は討伐の勅命を受け、加佐平和の里人八十人を率いて船出する。相手は小山ほどの大魚で、網は食い破られ、舟ごと呑み込まれてしまった。腹の中の毒気で部下が倒れるなか、王は火打石で火を起こし、内から焼いたため、悪魚は一同を吐き出して死んだ。岸で休んでいると童子が清水の壺を差し出し、飲んだ王はたちまち力を取り戻す。童子の案内で見つけた泉の水により、部下も残らず蘇生した。西庄町の野沢清水がそれで、八十蘇水とも弥蘇波の水とも呼ばれる。国分寺町山内あたりでは、今も臨終にこの水を汲んで死者の唇を湿す風習が残る。
原典より
十二代景行天皇のころ、椎ノ門に悪魚が出没して近辺の漁夫をおびやかした。—— 日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第12巻』所収の「文化叙事伝説」全139話(香川・徳島・愛媛・高知=四国)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。