吉備津彦と温羅
どんな伝承か
吉備津宮縁起によれば、垂仁天皇の時、百済の皇子温羅という者があった。両眼は爛々として豺のごとく、鬚髪は赤く、身の丈一丈四尺で、国郡を掠め取ることを業とした。日本を伺う志があって渡来し、備中国賀陽郡の新山に城を築いた。人はこれを鬼城と呼んだ。天皇は征夷将軍を遣わすが利あらず、次いで吉備津彦命が数千の兵を率い、東は吉備中山に、西は都宇郡片岡山に陣を敷いて戦った。命の放つ矢は空中で喰い合ったが、二筋を発すると一矢が温羅の左眼に当たり、流れた血で血水川ができた。温羅は雉、鯉と姿を変え、命は鷹、鵜となって追い、ついに降伏させた。命は吉備中山に葬られ、一宮大明神として祀られたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第10巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第10巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全85話(岡山・広島・山口=中国地方)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。