千原・河守の名を生んだ土ぐも退治
どんな伝承か
この一帯には土ぐもと呼ばれる賊がいて、日子坐王すなわち麿子親王がこれを討ったという。戦は激しく、双方の血で土地が血の原と化したことから千原の名が生まれた。川下からは得玉命も追い迫り、逃げ場を失った土ぐもは川を渡ろうとしたが、王の軍勢は楯を並べて渡河を防いだ。その場所が川守、今の河守であり、楯を連ねた地はたて原、今の蓼原になったとされる。賊が川下へ流れ去ると一艘の舟が現れ、日子はそれに乗って由良まで追った。小石を拾って占うと相手は与謝の大山へ登ったと出た。その地を石占といい、今は石浦と書く。舟を祀ったのが舟戸神社である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第8巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全133話(滋賀・京都・兵庫=近畿)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。