神苑差押えと保釈運動
どんな伝承か
入蒙から帰国した出口王仁三郎の不在中に、不敬事件の公判が再開され、一審どおり懲役五年の有罪判決が下されていた。教団は上告したが、加えて『大正日々新聞』の社債と利子あわせて二万四千余円の返済要求が起こされ、深刻な事態に直面する。九月には綾部の神苑の敷地が差し押えられ、十月に原告へ内金を入れてかろうじて解除された。この難局を打開するため、全教団をあげての保釈運動が開始され、地もとの綾部町や何鹿郡でも強力な運動がひろがった。その影響もあってか、王仁三郎は十一月一日、九十八日ぶりで保釈となった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。