成田山に参らない将門家臣の子孫
どんな伝承か
井沼方のある家では、成田山へ参詣してはならないとされてきた。この家の祖先は平将門に仕えた家臣で、将門が滅んだのちこの地へ移り住んだと伝えられる。村の鎮守である明神社には平将門が祭られている。成田山に詣でない理由としては、明神様が成田山に首を切られたからとも、成田山と明神様とが敵どうしで仲が悪いからともいわれている。
原典より
成田山に詣でないわけは、明神様が成田山に首を切られたためとか、成田山と明神様は敵味方で仲が悪いからだという。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。