八咫烏の道案内
どんな伝承か
神武帝の東征軍は、名草邑の名草戸畔、丹敷浦の丹敷戸畔と戦ってこれを征服したが、丹敷戸畔が毒気を吐いたため軍はことごとくぐったりとなり振るわなくなった。熊野の高倉下が天照大神の夢のお告げによって一振りの剣を差し出したことから再び士気を取り戻し、進撃を続けた。しかし山中を行軍するうちに道に迷ってしまう。ここでも天照大神から差し遣わされた八咫烏の道案内によって、軍は無事に菟田の穿邑へ出ることができたと『書紀』は伝える。毒気は山中特有の濃い霧であり、八咫烏は鳥ではなく鵜と人との関わりに基づくものと考える学者もあると著者は付記している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・昭和)
早川純夫『日本の妖怪』。神話時代から江戸まで、日本の妖怪と妖異を歴史の流れに沿って描く。