土浦の狐お竹を撃った甚五郎
どんな伝承か
江戸時代、土浦藩士の小室甚五郎は気性が強く、常に鉄砲を好んで山猟を楽しんでいた。当時土浦では官妙院という雄狐と、お竹という雌狐が土地の人々に稲荷として崇められていた。ある時甚五郎は雌狐お竹を鉄砲で撃ち殺し、料理して酒の肴にした。すると土浦城下に近い他領の百姓の妻に官妙院狐が取り憑き、口走って甚五郎を恨み罵るようになった。夫や村人が、恨みなら甚五郎本人に取り憑くべきではと問うと、狐は「お前の雌を殺して食った甚五郎には恐ろしくて取り憑けぬ」と答え、甚五郎を殺してほしいと訴えた。これを聞いた甚五郎は怒り、その村へ乗り込んで社を破却すると罵ると、狐はたちまち離れ、その後は何の祟りもなかったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・昭和(戦中))
生物学者・小泉丹『科学的教養』(戦中刊)。国民の科学性とは科学知識の普及ではなく科学的態度であるとし、科学的・非科学的の境界を吟味したうえで、怪異談を科学的に検討する。