四畝城の武士と口封じの七人みさき
どんな伝承か
北房には七人みさきと呼ばれる祠が二か所ある。菅野の集落では北にある山の頂に古い宝篋印塔が据えられており、戦国のころ南方の四畝城をめぐる攻防で矢に当たって果てた七人の武士を弔ったものだと伝える。もう一つは能楽の集落の西の入口、山裾に構えられた小さな社である。こちらは、昔この地に財宝を埋めた者が、口を封じるために作業にあたった七人を殺し、その霊を祀ったのが起こりだという。埋めた場所を示す文句として、朝日さす夕日三間宝は三つ葉ウツギの元に有り、という言葉が伝わるが、掘り当てたという話は聞かれない。
原典より
菅野部落の北の山の頂に古い宝篋印塔がまつられている。—— 北房町史 民俗編(現代(町史民俗編)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北房町史 民俗編(現代(町史民俗編))
岡山県北房町の伝説。潮の満ち引きと連動して水が増える天神川、戦死者や口封じに殺された者を祀る七人みさき、盗まれた観音を刻んで往生した老人の身替り観音、京都の大火を消す八天狗、夜な夜な田を荒らす駒繋ぎの絵馬、賊を湯封じで平定した吉備津彦命の湯荒神、つちぐも退治と裏切りの神田池など、霊水・霊石・武士の霊・弘法大師伝説を豊富に収める町史民俗編。