狩猟罠「オス」を仕掛けていたころ
どんな伝承か
石倉篤太郎がもっとも力を入れていたのはクマ猟で、成功すれば大きな収入になった。著者が初めて会ったころまでに、合わせて二百頭ほどのクマを捕っており、うち一人で仕留めたのは二十頭ほど、藤田幸男と二人で捕った数がざっと六十頭、残りは十人前後で追い詰める巻き狩りであった。一人で捕ったクマのうち半分余りは「オス」によるものである。オスは日本各地の山村で広く見られた圧殺罠で、重しの石を載せた釣り天井のような木組みを一本の支柱で支え、下に張った蹴網に動物が触れると天井が落ちて下敷きになる仕組みであった。
原典より
誤ってオスに入り圧死した旅芸人自ら仕掛けたオスに敷かれて死ぬ「円次さんのことは聞いています」第7章「猿は猟師に命乞いをする」は本当かいまでは害獣になりさがる山中でサルの群れと遭遇するサルをあがめる人びと猿神信仰の名残り—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代)