共同墓地の脇に埋もれた入定窟
どんな伝承か
姥捨て山の南に開いた窪地が字風呂ノ谷で、谷とはいうものの、まとまった雨のときにしか水は流れない。その窪地を挟んだ南西の向かいには、かつて新宮小中学校があり、敷地の一角は村の共同墓地に続いていた。墓地のすぐそばにも同じ造りの穴が口を開けていたが、戦後に墓地を広げた際の土をかぶってしまい、いまはごく一部しか見えない。四基のうち原型を失ったのがこれである。残る一基は伊予川の東岸、姥捨て山の東向かいの私有地にあるという。絶食して果てる行が死を前提とする以上、これらの穴は初めから墓として設けられたのではないかと著者は考えている。
原典より
風呂ノ谷は「ムロノ谷」の意ではないか第2章 石風呂と焼き石湯京都郊外・八瀬の不思議八瀬は窯風呂の里でもあったいまも入浴できる重要文化財漂泊民の入浴法定住民も焼き石湯を沸かしていた—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代)