漂泊民の入浴法
どんな伝承か
湯と風呂はもとは全く別物で、風呂は蒸気または熱気を浴びる施設のみを指していた。庶民が入る「湯」は、「焼き石湯」とでも名づくべき原始的なものであった。鷹野弥三郎『山窩の生活』は、仲間が十人、二十人と集まると桝風呂のような穴を掘り、底に砂を敷いて水を入れ、焚火で真赤に焼いた石を投じて湯を作ったと記す。昭和二十年代後半、埼玉県比企郡嵐山町菅谷の都幾川べりの小屋で暮らしていた松島始も、河原に人がすっぽり入るほどの穴を掘り、焼けた石をつぎつぎ放り込んで湯を作り、そこへ入ったと語っていた。
原典より
定住民も焼き石湯を沸かしていた第3章 山中深くで贋金をつくるある漂泊民一家との出会いキャバレー勤めから再婚へ帰郷と夫の急死夫の実家への旅贋金つくりの集団がいた「江戸川の社長さん」の出自—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代)