文政御蔭祭の牟呂村七枚降臨
どんな伝承か
文政十三年、牟呂村では日照りが続いて雨乞いが行われていたところ、諸国で御札降りが起こり御蔭参りが始まった。天王社の前の杉に降った伊勢内宮の御祓は行列を組んで八幡宮へ移され、二夜三日の参詣は大群集となって、三日間に十八樽の酒が振る舞われた。御祓は近郷の村々におおむね一枚ずつ降ったが、牟呂村には七枚も降ったという。この近郷で降臨がなかったのは小浜村と忠具村の二か村だけであった。九月には高良大明神の十本杉に外宮の御祓が降り、酒はさらに十樽、合わせて二十八樽に及んだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。