中村・普仙寺の内宮御本宮御祓
どんな伝承か
慶応三年七月十五日の晩、牟呂村の中村にある普仙寺の寺内で、秋葉の石燈籠の垣の隅の竹に伊勢内宮の御本宮の御祓が降臨した。知らせを受けた牟呂八幡宮の宮司森田光尋は、文政の御蔭参りのときにも外宮の御祓が二枚重ねになって村方に降り、それを社宮神社に納めて父光義が神事を行ったと聞いていたことを書き留めている。この二枚目の御札は十七日の七つ時に前の御祓箱へ納められ、神事が執行されて御神酒二樽が開かれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。