下佐波村のお札降りと村祭り・にわか興行
どんな伝承か
岐阜地域ではないが、下佐波村でもお札降りがあった。ここでも祭りは村祭りとして行われており、お札が降った家では「にわか」を催したりして人々を招き入れ、祝いをしている。長良の例と同じく、いわゆる「ええじゃないか」の踊りや酒食の強要をともなうものではなかった。お札降りは全国的にみて、慶応二年と四年の一揆打ちこわしの高揚期のあいだにあたる慶応三年、東海地方を中心として主に太平洋側の地域で起きたものである。下佐波村の一件は、岐阜大学教育学部の郷土資料「青木久兵衛日記(抄)」に拠っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岐阜市史 通史編近世 お札降り(岐阜市(岐阜市史編集委員会)・現代(地方自治体史。近世史料に基づく学術記述))
岐阜市史通史編近世の幕末項の一節で、慶応三年(一八六七)に東海地方を中心に起きた「お札降り(ええじゃないか)」現象の岐阜地域における記録。中心事例は同年九月一九日、長良真福寺村の有力農民・川出金之右衛門宅の表座敷の縁に太神宮の御札が降り、続いて剣祓二体・御守の小箱が榊葉に結われたまま計三体降ったというもの。