川出氏の和歌奉納
どんな伝承か
真福寺村の川出金之右衛門は、自家に降った御札について「千はやふる神も降りて君が代を、久しかれとや守ますらむ」と一首よみ、これを神棚に納めたという。慶応三年九月十九日、川出家の表座敷の縁に太神宮の御札が降り、続いて剣祓二体と御守の小さな箱が榊葉に結い付けられたまま降って、あわせて三体となった。人々はこの御札降りを、いずれ天下太平のきざしであるとして喜んだ。岐阜地域のお札降りとしては、この長良の例が知られている。典拠は長良北町の川出家文書「諸記録留」である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岐阜市史 通史編近世 お札降り(岐阜市(岐阜市史編集委員会)・現代(地方自治体史。近世史料に基づく学術記述))
岐阜市史通史編近世の幕末項の一節で、慶応三年(一八六七)に東海地方を中心に起きた「お札降り(ええじゃないか)」現象の岐阜地域における記録。中心事例は同年九月一九日、長良真福寺村の有力農民・川出金之右衛門宅の表座敷の縁に太神宮の御札が降り、続いて剣祓二体・御守の小箱が榊葉に結われたまま計三体降ったというもの。