俄武士が役人に一杯喰はせる話
どんな伝承か
富岡町の商人・京はんは恰幅がよく容貌も立派だったため、常々武家姿に扮していた。ええじゃないかの踊りの中を肩肘張って押し分け、江田の渡あたりへ差しかかったとき、踊り子を追い返して回る本物の侍に呼び止められた。京はんは度胸を据え、『拙者は徳島藩加島の家臣でござる、只今主用を果しての帰途にござるぞ』と偽り、侍はこれを信じて丁重に詫びて通した。京はんは悠々とそこを通り抜け、徳島の金比羅宮参詣へ向かったという。
原典より
富岡町の京はんは商人ではあつたけれども、恰幅はあり容貌魁偉だつたから武家姿に身を扮してゐた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。