飯盛女ゆえに廃された内藤新宿の宿駅
どんな伝承か
内藤新宿はもと内藤大和守の萱野原で、浅草辺の商人某が官に願い出て駅並の家作を建て、元禄十一年に初めて宿駅となった。甲州街道の江戸の西門にあたり旅人が絶えず旅籠屋は繁昌して、飯盛女を置いた。名目は食事の給仕や雑用だが実は娼婦であった。ところが飯盛女や足洗女がみだりに遊客を引き入れたのが法外だとして、享保三年に宿駅の廃止を命ぜられ、町並みは元の百姓町屋に戻り、家持ちに至るまで困窮して渡世も立たなくなった。のち往来が増えて明和九年二月二十日に再開され、飯盛女は百五十人と定められた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)