信州洗馬村の七夕人形
どんな伝承か
菅江真澄の最初の日記『伊寧乃中路』の天明三年七月七日の記事には、六日から軒端にへぎ板で男女の形代を作り、糸に引き渡して吊るすという信州の七夕の様子が、写生画とともに書かれている。日記には場所が記されていないが、柳田国男は、それが洗馬村の釜井菴であったことは、近年同じ角度から撮った釜井菴の写真と見比べればよく分かると述べている。この日の記事には、村の娘たちが踊る姿を描いたもう一枚の絵もあるという。
原典より
「六日より軒ばに方(へぎ)なる木にて女男のかたしろを造りて絲に引きはへてけり」—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。