二人の男に迷い池へ身を投げたお玉
どんな伝承か
神田松枝町のあたりは、いまもお玉ヶ池と俗に呼ばれる。もとは桜ヶ池といい、不忍池より大きな池で、岸には桜が並んでいた。慶長のころ、池のほとりに住む農夫の夫婦が子を授かるよう龍神の社に祈っていると、社前に捨て子があった。女の子をお玉と名づけて育てると、近隣に知られる美しい娘に育ち、池のそばの掛茶屋で茶を汲んだ。やがて二人の若者がともにお玉に思いを寄せ、どちらとも決めかねたお玉は、津の国の求塚の話になぞらえた歌を残して池に身を投げる。二人の若者もあとを追って飛び込んだ。里の人はお玉を憐れみ、龍神の社のかたわらに祠を建てた。これがお玉稲荷で、池もお玉が池と呼ばれるようになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
江戸傳説(佐藤隆三)
佐藤隆三編『江戸傳説』を全42話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。