韮崎の四つ前
どんな伝承か
韮崎宿は天保年間から明治初年にかけて、駿河との水路が開けていたため、舟つき場として、また峡北地方の米の集散地として活況を呈した。「韮崎の四つ前」といって、午前十時ごろになると人馬の数は最高潮に達し、中通りは歩けないほどの混雑を呈したという。そこからこの言葉は「用事をたすなら四つ前に」という意味で用いられたようである。今も「うまやど」や「うまつなぎ石」がわずかに残り、当時のにぎわいの名残をとどめている。
原典より
韮崎宿は天保年間から、明治初年にかけて、駿河との水路が開けていたので、舟つき場とまた峡北地方の米の集散地としても、活況を見せた。—— 韮崎市の民話伝説(昭和四十二年(1967)刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(昭和四十二年(1967)刊)
山梨県韮崎市(穴山・穂坂・清哲・神山・大草・藤井・竜岡・中田・円野ほか各町)に伝わる伝説・民話を、木/石/水/塚/坂・峠/山/谷・沢/屋敷跡・城址/祠堂/その他 の各部門に分類して集成する。武田信玄・勝頼ら甲斐武田氏や新府城にまつわる伝承、日本武尊・源為朝・弘法大師の旧跡、御神木や霊石・霊池の怪異、稲荷・地蔵・観音の霊験、狐狸むじな・河童・鬼の昔話など、韮崎の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を地区つきで網羅する。