生米と生水との生活
どんな伝承か
大正十四年八月、掛軸の在りかが知れるとかね代のむくみはたちまち引き、抜けていた髪も止まり、市兵衛の霊はこれからは不動明王に仕える身だと告げた。翌日からは火を通した物を一切禁じられ、一日二合ほどの生の玄米と生水に、果物を少し添えるだけで暮らした。半年たっても体の具合はよく、親戚に勧められて半熟卵や牛乳を口にした時はひどく腹が痛み、すべて吐いてしまったという。霊は、体を作り変えるためで一年ほど続ければ楽になると説明した。浅野は長南年恵の絶食とも比べている。
原典より
昨年の八月二十六日からかね代女は、固くその命令を厳守すべく努め、主として生の玄米一日に約二合と、生 とで生きて居ます、副食物としては梨子、林檎、蜜柑少許を攝取するだけであります。—— 二つの怪奇な心霊現象(浅野和三郎・1940年(昭和15年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
二つの怪奇な心霊現象(浅野和三郎・1940年(昭和15年))
『二つの怪奇な心霊現象』は、浅野和三郎が著し、心霊科学研究会が昭和十五年に発行した記録で、昭和二十七年に再版された。前篇は弘化元年、土佐国長岡郡豊永郷岩原村で村人六十四人が狂乱し、祈禱が効かず藩の役人が空鉄砲と犬で取り押さえた事件を、野島通玄の記録『甲辰奇怪記』の現代語訳で紹介する。後篇は山梨県北巨摩郡穂坂村の旧家の娘かね代に曾祖父横森市兵衛の霊が懸かり、盗まれた不動明王の掛軸が戻った因縁を、著者の調査と甲州訪問記を添えて述べる。