余った一体分の手足と三河島事故
どんな伝承か
昭和三十七年五月三日、常磐線の三河島駅近くで電車が三重に衝突し、百六十人が亡くなる大惨事となった。この事故を起こるべくして起きたと見る者がいる。多くは霊能者だが、土地の歴史に詳しい郷土史家にも同じ見方をする人がいた。三河島の一帯は、鈴ヶ森と並ぶ江戸の処刑場、小塚原刑場のあった場所だからである。処刑されたのは主に政治犯で、その数は二十万人あまりともいわれ、吉田松陰や橋本左内もここで果てた。恨みの血が染みた土地に地縛霊がとどまり死者を招くのだという。収容した遺体を並べると、一体分の手足が余ったと伝わる。
原典より
一九六二年(昭和三七年)五月三日、常磐線三河島駅近くで電車が三重衝突を起こし、死者一六〇人を出すほどの大惨事となった「三河島事故」。—— 心霊大全(中岡俊哉・1970年代~1980年代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊大全(中岡俊哉・1970年代~1980年代)
奇怪なお菊人形(心霊大全)/心霊写真と自殺者の霊/北海道の怪奇現象/憑依と祟り/中岡俊哉の心霊蒐集